
立川にあるフラダンス教室へ体験レッスンに行って来ました。
立川駅北口徒歩5分の所にあるフラダンス教室「Na Lama O Ke’alohiナ・ラマ・オ・ケアロヒ」さんに体験レッスンに行ってきました。
海、空、山の雄大さ、ゆったりした人々、ゆったりした時間、日本では味わえないとても心が安らぐ時間をハワイは体験させてくれます。フラダンスはそんな素晴らしいハワイの良さを表現しているダンスです。そんなダンスを私も踊ってみたい!
「ナ・ラマ・オ・ケアロヒ」さんは、オアフ島の名門フラダンス教室Keolalaulani Halau ‘Olapa O Laka(ケオララウラニ ハーラウ オラパ オ ラカ)の認定校という本格的なフラダンススタジオです。
このような本場のフラダンスが習えるスタジオは、なかなかあまりありませんよね?そんなフラダンススタジオが立川にあります。
東日本大震災後の立川3/14~(地震翌週以降)
3月15日から東京電力管内にて計画停電が始まりました。地域を5つのグループに分け、時間帯ごとに順番に3時間ほど停電させていくというものです。初めての経験に戸惑いを感じずにはいられません。該当グループが停電になるかならないかは直前にならないとわかりません。店舗は停電の可能性がある場合営業中止せざる終えなく、立川にある大手百貨店は停電の予定時間には店を閉めているところが多くみられました。大企業も震災後の数日間休業し、社員を自宅待機にさせ、様子を見ているところが多く、町に活気がありません。
東日本大震災後の立川(3月12日・13日、地震翌日・翌々日)
地震翌日、電話が繋がらなく安否不明だった福島と岩手に住む親戚全員の安否確認が取れました。岩手の親戚はライフラインが途絶え車で非難生活を送っています。福島の家は倒壊してはいないが家の中の物がほとんど倒れてしまい大変なことになっています。そして大きい余震が続いています。
東日本大震災後の立川(3月11日、地震当日)
3月10日(木)東京都立川市の情報発信ポータルサイト「立川なび」がオープンしました。まずは、オープンの告知をしていき徐々に盛り上げて行こうと企画会議をしている最中に地震が起こりました。
最初はゆっくり小さく始まった横揺れが、徐々に徐々に大きくなっていきます。私たちスタッフは全員部屋から飛び出しました。嵐の中の船の上のような激しい揺れが続き、立っているのが少し不安で、廊下の手すりにつかまり、ただ呆然と揺れている景色を眺めていました。隣にある10階相当のビルは左右に揺れ、電線もかなり揺れています。外から部屋の様子を見ていると、棚の上からガラス製の加湿器が床に落ち、割れてしまいました。
立川の歴史
編集者である私は、立川に住み30年近くになります。この30年の間に立川の街は、めまぐるしい変化を遂げています。常に進化する街「立川」。まずは、その歴史をひも解いてみることにしましょう。
発掘された遺跡によれば、この地域には約1万3千年前に人の痕跡が確認されているそうです。平安時代には、立川氏が地頭となり、鎌倉時代末期まで領有しています。江戸時代には、徳川吉宗の政策により、この地の新田開発が進み、玉川上水も開通し、農業を中心とした地域として発展しました。1889年には、神奈川県北多摩郡立川村、砂川村が成立し、現在の中央線である甲武鉄道も開通しました。1893年には神奈川県から現東京都に移管され、1940年に立川市になりました。



